The 雑記 いつになれば幸せになれるのか

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いつになれば幸せになれるのか

自分の価値観が変わったときだろう。当たり前のことを有り難く感じ、全てに感謝できるようになったとき幸せになれるのだと思う。
大きな病気もない。家族も元気。食べ物にも困っていない。家にも困っていない。それなのにずっと満たされない気持ち。明らかに幸せなはずなのに、幸せだと断言できない。間違いなく私の価値観に問題がある。

問題のある価値観

問題のある価値観は、おそらく中学生の頃から出来上がっていた。成績が校内で何位だったか。テストの点数が何点だったか。ということを自分の価値の指標にしてしまったのだ。定量的な判断基準ゆえ、甘えが許されない。結果が全てなのだ。そして、圧倒的に人から称賛されるレベルに達しないと満足できないようになっていた。とてつもない結果を出して、他者から認められることにより幸せを感じるという価値観を持ってしまったのだ。

問題のある価値観の実害

高校生になった私は、学校の勉強についていけなくなった。もちろんテストの点数も高得点は取れない。校内順位を下から数えるほうが早くなった。このような中でも私の自分の価値の指標は校内順位やテストの点数が主だった。そして何かが弾けた。自分に価値がないと失望してしまったのだ。その結果、学習に身が入らずさらに転落することになった。他者から認められることがなくなったため、幸せを感じることもなくなった。

大人になっても同じ価値観

学生時代は校内順位、テストの点数で結果を出して、他者から認められることで幸せを感じていた。大人になった今は、仕事での結果、役職、給与に関して他者から認められることで幸せを感じていると自己分析している。そして、理想や目標と現実に乖離があることでストレスを感じ、幸せを感じることができないのではないかと考えている。

他者からの評価を気にすることが害

私の価値観で一番問題なのが、他者からの評価を気にすることである。ずっとよい結果を出せるとは限らない。またどんなによい結果を出していようと、他者にすごいと思われるかはわからない。このような不確実なことを基準にすると、一向に幸せを感じることができない。そして、上には上がいる。理想を高くもつことは構わないが、理想と現実の差を悲観的に捉えているうちは幸せにはなれない。

みんな違って、みんないい

小学生のときに、黒板の上に貼ってあった言葉だ。今になってこの言葉の良さに気づいた。それぞれ外見、能力、考え方などさまざまだ。他人との比較で、自分を悲観的に捉える必要はない。みんな違って、みんないい。今、自分がこの世に存在していること自体が幸せなことだ。当たり前のことを有り難く感じ、全てに感謝できるようになることで幸せを感じることができると思う。まずは問題のある価値観から変えてみようと思う。

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この記事を書いた人

はじめまして、Mr. Resurrectionと申します。今まで楽しい経験や辛い経験をしてきました。それらの自らの経験を活かして、このブログを書いていきます。皆様は私のような失敗をしないでください。ぜひ反面教師として活用していただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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